合言葉はシャローム!!

キリスト教の牧師をしています。好きなギターの話、ゴスペルフォーク、歌の話等等等。

懐かしの洋楽(1)「16小節の恋」

スタイリスティックスの名曲です。一度聴いたら忘れられないメロディー。小学校の時に友だちだった奴がいて、その後親の仕事の都合でアメリカに行ってしまった。彼とはしばらく文通していたが、当時奴は「ソウル・トレイン」というアチラの番組にはまっていてソウルミュージックについていろいろ教えてくれた。その後中学に入る頃に日本でも爆発的な洋楽ブームがおとずれた。オリビア・ニュートン・ジョンお姉さまをはじめとした洋楽ヒットが次々と話題になったことがある。俺が奴に教えられて初めて買ったサントラが「16小節の恋」です。その後、日本でもあっと言う間に話題になり、みるみるトップチャートを上り詰めていった。中一で初めて英語を習って歌詞を一生懸命和訳したっけ。素敵な歌詞です。

This is my love song in sixteen bars
To tell the world
that I'm really gone on you !!

ソウルミュージックにはまって、「ソウル・ドラキュラ」「セクシー・バスストップ」などのサントラを次々と買った覚えがありますが、やっぱり一番はスタイリスティックスですね!!

チーさまと初代部長(3)

部活動をやろうと意気込んだ最初の日、俺がもってきたフォークギターをめずらしがって友達たちが寄ってきました。中でもOは、はしゃいで「俺に持たせてくれ、持たせてくれ」とせがむので、仕方なく貸してあげました。彼はストラップをかけたギターを肩にかけて出鱈目にジャンジャン弾きながら、突然「キカイダー、参上」と言ってギターを背中にくるりと回したのです。そして「トゥーッ」と飛び上がろうとした。キカイダーとは、仮面ライダーのようなヒーローもののテレビ番組で、そのヒーローであるキカイダーは最初人間の姿でギターを弾きながら登場し、くるりとギターを背中にして山の上から宙返りして悪人たちのところへ現れるのが常でした。Oはその真似をしようとしたのです。ところがその瞬間ネックに結び付けていたストラップが外れて、ギターは激しく地面に叩きつけられました。

「あーっ、俺のギターがーっ」

ギターはその表面材をトップといいます。そしてその側面の材はサイドと言いますがその二つの材は多くの場合、膠で接着され、その上を飾りのライン取りがされているのですが、ちょうどその右角の部分が欠けて、バッツリ、ひび割れが入ってしまったのです。もはや後の祭り。Oはさすがに悪いことしたと思ったのか「ごめん」と謝ってきました。「ゴメンで済むか!弁償しろ!」「やーだよーだ。謝ったからいいじゃん。」Oはピューッと逃げていっちゃいました。買ったばかりのギターの無残な傷。家に帰って接着剤で修正しようとしましたが元には戻りません。父親が「何だ、買ったばかりなのに、もう壊したのか」と傷心の俺に追い打ちをかけるように。まあ、壊れてしまったものは仕方ありません。しかし事態はこれだけにとどまらず、俺のギター部には暗雲が立ち込めてまいりました。

仲良し四人組 下が俺 上三人の真ん中が俺のギターを壊したO
(注・三人ともギター部のメンバーではありません)

懐かしのフォークソング(1)「ゆうこ」

 お馴染みの村下孝蔵さんの曲です。札幌の高校に通っていた俺は、たまにダチと大通公園まで出てきて界隈で遊んだりしていました。だいたいが輸入レコード屋さん巡りで、輸入レコードを漁るのが楽しかった。邦盤で2500円くらいするレコードが15001800円くらいで手に入るので、断然輸入盤が安い(その代わり、波打っているけど笑)。タワーレコードとかパピヨンレコードに行くことが多かったです。帰りは四プラの幌馬車(茶店)に寄って買ったレコ見ながらコーヒー飲んで。

 大通公園では村下孝蔵の「ゆうこ」が大音響で流れていました。行くたびに必ずと言っていいほどかかっているので、すっかり馴染んでしまい忘れられない曲となりました。たぶん村下・・・は最初北海道でブレークしたんだよね(九州の人だけど)。その後の「初恋」「踊り子」も好きだったけれど、やっぱり一番は「ゆうこ」です。

チーさまと初代部長(2)

どうも最初に買ってもらったフェルナンデスで、希少価値に目覚めてしまったというか、俺はギターを選ぶときに見た目も相当重視するようになっていたようです。お金を貯めて足りない分は親に出してもらってと、ようやく購入したフォークギターはヤマキというメーカーのB-30でした。当時ヤマキバッファローシリーズというギターを売り出していて、ギターヘッドがオックスヘッドといわれる牛の角型をしており、ピックガードもそれっぽい独特のもので、見た目の(俺的には)カッコよさに惹かれたものでした。何故ヤマハのFシリーズにしなかったのか。どうもヤマハは量産型というイメージがクラッシックギターのときに頭にこびりついてしまい、また三つの音叉のマークもまるで音楽室っぽくて嫌だと思ってしまった。いいギターなんですけれどね。

ギター部を作りたいと思っていた中学三年当時、生徒会の協議委員(図書委員長)をしていた俺は、職権(発言権)を利用して(笑)、部員を集めて部を作ってしまった(当時部員が四人以上いれば部は成立)。念願かなったりとホクホクしていた俺でしたが、一歩進んで二歩下がるのが世の常と言うもの・・・。(続く)

チーさまと初代部長

 当初、赤味がかったフェルナンデスギターの希少性に少々思いがあった俺でしたが、その後、ギターが順そりを起こしているのに気がつき愕然としました。順そりとは弦の張力で棹が曲げられる現象で弓なりになり、押さえにくくなるのです。これは弦を緩めず張りっぱなしで放置していたため起きた現象でした。折しも、フォークソング全盛期で、俺もクラッシックの曲は飽きて(そもそも「小さな日記」はフォークソングです)禁じられた遊び程度で終わり、そろそろハイコード弾きのフォークソングをやりはじめていました。そうなると高フレッドは弓なりになったギターでは押さえにくく、新しいフォークギター(今でいう、アコースティックギター)が欲しくなりました。

 決定的だったことはチーさま(松山千春)が俺の町にコンサートに来たことです。当時、チーさまは「旅立ち」でデビューし、自分のラジオ番組を持っていました。中島みゆき(帯広)のしもべでありながら、ある時期公然とドン・みゆきに反抗し、ラジオで俺流を語るチーさまはかっこいいなどと、クラスでも話題に。

 そしてチーさまがついに俺の町に来ることとなり、母親が偶然手に入れたチーさまのコンサートチケットを貰って生まれて初めて歌手のコンサートに行きました。俺の感想は「すげぇ。声高けぇ」。旅立ちをはじめとする彼の楽曲はつま弾きを特徴としており、しかもそのテンポの速いこと。すっかり俺はチーさまのファンとなるとともに、ますますフォークギターが欲しい、となっていったのです。(続く)

フェルナンデスの思い出(2)(続き)

「小さな日記」は合奏としては、主旋律部と応答部(和音)に分かれて、それを絶妙に組み合わせた演奏部で構成されていました。クラッシックギターはネックが太く、また巻弦とセルロイドの組み合わせがあまり指に馴染みませんが、俺は懸命に取り組みました。練習ではそのどちらも(主旋律部と和音コード)練習して実際の演奏では二手に分かれて演奏しました。発表は大成功でした(俺的には)。心の中で感動しながら「みんなよくやったよ!俺も頑張った!!」と勝手に自分自身にもエールを送ったのでした。

当時のこと、よく覚えていませんが、しばらくして合奏のことが遠因となり、顧問の先生は辞めてしまいました。(えっ、何で!)ホントによく覚えていないんだけど、二部に分けられたことで一部の生徒が不満をもったことだったようです(たしか・よくある話)。それで先生もやる気をなくして放り出してしまったようで。指導者不在のまま、しばらくはダラダラと続きましたがそのうちに休部(休クラブ)になってしまった。何なのだ・・・。茫然とした俺の手元には買って間もないフェルナンデスギターが可愛くキラキラ光っていました・・・。